田舎と都会の両方暮らし

東京自宅と茨城実家を行ったり来たりしています。長く続けた仕事も面倒くさい人間関係も、大好きだった酒も酒場も皆さよならしました。断酒して4年、色んな断捨離続けます。古く寂れた実家を片付けして、心安らぐ住まいへ再生中。都会と田舎の両方暮らしで過ごします。三人の息子は社会人になって家を出て、賑やかだった生活も今は妻と2人。静かな日々となりました。

なぜ、織田フィールドって皆んな呼ぶの?

火曜夜は、代々木公園隣りの織田フィールドへ。

19時になっても気温27度。今夜も大汗かきそうだ。
本日の練習メニューは、5000m→400m繋ぎ→3000mのペース走。

合計で400mトラックを21周する訳だ。やれやれ。

フクモトさんがキロ5で走ると言うので、それなら付いていけると思い後走。

あれっ、何かキツいぞ。おかしいなー、5周目位からジリジリ離され始める。

ヤバいな〜いくら暑いからといって、平坦なトラック5000mくらい、キロ5で走れないのか、俺って。なんだよ〜とボヤきながら走る。

結局、5000mが25分50秒で5:10/kmペース、400m繋ぎは歩き、3000mが16分22秒で5:27/kmペースと、メニューはこなしたものの散々だった。

おまけに終わったあと、軽い熱中症の感じ。フラフラして締めの体幹ストレッチは、全然できなかった。情けないにも程がある。

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八幡湯の電気風呂で痺れながら、今日の練習会を反省。

やはり練習開始直前に織田に着いて、ろくすっぽアップもストレッチもせず、水をチョコチョコっと飲んだけで、いきなり走り出したのがまずかった。

この暑さと湿気を甘くみてはいけない。負荷のかかるポイント練習は、30分前には入念に準備を始めないと。サプリも飲まないと。

なんか、いつも同じこと呟いているな、同じ誤ちを何度も繰り返してる自分。

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正式名称は代々木公園陸上競技場なのに、何で皆んな「織田フィールド」と呼ぶのか、ちょっと調べてみた。

1928年のアムステルダム五輪で、織田幹雄選手が陸上競技三段跳びで優勝、日本人初の金メダリストとなった。

その功績を後世に残すため、1964年東京オリンピックの時に建設されたこのグラウンドに、

織田選手の名を冠として「織田フィールド」と呼ぶようにしたそうだ。

全然知らなかった。

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